柔道、そして生涯の仕事と出会った中学生時代

小学6年のとき、学力的には六甲に入れるくらいにはなっていたものの勉強が心底嫌いになっていたため、一切受験を拒否し公立の今津中学校に進学しました。
当時の今津中学校はとてもガラの悪い学校で、1年生の時の3年生の卒業式にはパトカーが待機しているほどでした。

当初、何も考えずテニス部に入部しましたが、こちらは3歳くらいからラケットと触れあってるわけです。かたや1年生の時の3年生は下手するとテニス歴2年ちょっと。
どちらが上手かなんて火を見るより明らかです。にも関わらず1年生はボール拾いのみ。

「先輩の練習を見とけ!」

なんて言われても、下手くそ同士の練習を見ても面白くもなんともありません。ここでも理不尽嫌いが遺憾なく発揮され、1年生の終わり頃に退部します。

そのまま少しフラフラしていたのですが、2年生になったら「身体がでかい」という理由から柔道部の顧問に声をかけられました。それと同時に、同じ小学校で校長室呼び出し仲間(要するに問題児)だった同級生が小さい頃から柔道をしていて、顧問がその友人も使って柔道部に誘ってきました。柔道というもの自体を知らなかった私は、柔道部に入部しました。

さすがに今度はケツ割って辞めるのはかっこ悪いな〜くらいには思っていたので、受身の練習とか全然面白くはありませんでしたし、当時はウサギ跳びとか腕立て伏せとかイヤなことばかりでしたが、我慢してやっていました。ただ、先輩の中で強い人は黒帯を巻いていて、私を誘った同級生も黒帯を巻いていてそれがかっこよかったので「せめて黒帯くらい取ろう」と頑張った記憶があります。

せめて黒帯くらいは取る…

しかし、その目標はいともカンタンに達成してしまいます。黒帯が欲しかった私は、その同級生が通っている道場に入門し、部活だけでなく高校生や大学生相手にその道場で稽古をしていました。そのおかげもあり、なんと柔道を始めて2週間足らずで初段になってしまいます。

今でも鮮明に覚えているのですが、初段になるためには3人に勝たないといけないのですが一人目だけが中学生で、2人目は高校生、3人目は神戸大学の大学生でした。
前日に道場で「お前、柔道始めて間もないのに昇段試験受けんのか?まあ勝てへんやろけど1点でも取れるように2つだけ技を教えるからこれだけ試合でやってこい!」と言われた技だけで3人に勝ちました。

実はこの時に嬉しいことがありました。3勝して昇段の手続きをする際に、全然知らない先生から声をかけられたのです。

「君、柔道初めてどれくらいや」

そう聞かれました。
今はわかりませんが、当時は柔道を始めてからあまり日が浅いといけなかったので、適当に

「1年くらいです」

と答えたと思います。すると

「君は強くなる!絶対に柔道やめたらアカンぞ!頑張れよ!」

と言ってくださったのです。
あの時のあの先生の言葉はとても嬉しかったです。

そして黒帯を取ってから2、3ヶ月後の西宮市内大会で3位入賞してしまいます。準決勝は見事に投げられて負けましたが、初めて出た公式試合で賞状をいただくという経験をしてしまいました。

テニス、勉強では怒られてばかり、家では母親が気分次第で荒れるという環境だった私は、柔道において初めて成功体験を積んだことによって、柔道にドップリはまることになります。

柔道へ

もっと強くなりたい、と思い、初代女子高校柔道のインターハイチャンピオンになった夙川学院に出稽古まで行くようになりました。結局中学生時代は西宮市内では勝てるけど阪神大会では全然ダメで県大会すらも出られないという低いレベルではあるものの、毎日の部活(日曜は休み)、部活終わってからの道場(火・木・土)、そして夙川学院の出稽古(日曜日)という形でほぼ毎日柔道をするようになっていました。

(「あれ?小学生時代あれだけ書いてた母親全然登場せえへんやん!」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんので補足程度に書いておきます。この頃、父は単身赴任をしておりましたので、母親はほぼ毎日2時3時まで飲み歩くことに忙しかったようで、あまり私に干渉しなくなりました。これには本当に助かりました)

金澤先生との出会い

なんにせよ、中学生の頃も中学2年生の頃の担任の先生が理不尽だったためネクタイで首を絞めたり、学校でタバコを吸ったり酒を飲んだりと色々やらかしはしましたが、柔道に夢中になれたおかげで、大きく道を踏み外すことなくすごすことができただけでなく、柔道による出会いが今後の人生を決めていくことになったのです。

実はこの中学時代に私の今の人生は決まったような感じです。柔道の出会いにより、中学校近くの町道場に通うようになります。

その道場は柔道以外にも様々な武道が集まっており、柔道の先生ももちろん柔道もしますが古流柔術をされており、「柔道強くなるには古流もやれ」ということで中学生の頃から古流柔術も習うようになりました。殴る、蹴る、投げる、絞める、極める(関節技)なんでもありです。そしてその古流柔術を教えておられる先生が、「今津柔道接骨院」という接骨院の金澤先生という先生でした。

中学生の頃に足首を怪我してた時、足首に適当に包帯を巻いて稽古していたのを見た金澤先生に「足どないしてん」と声をかけていただき、症状をお伝えしたところ「うちに治療においで」と言ってくださったのです。

実際、今津柔道接骨院に受診させていただくと、金澤先生がものすごくかっこよく見えたんです。柔道も柔術も強い、そして仕事もかっこいい。金澤先生に憧れるようになるのは時間の問題でした。そしてその時に「俺も将来は金澤先生みたいになりたいな〜」と思うようになったのです。そう、すでにこの時点で私の将来は決定していたのかもしれません。

勉強しないで柔道が強くなるには…

実は中学生時代も勉強はしなかったものの、小学生時代の貯金で成績はかなり良いほうでした。ここでも「高校から六甲行ける!」と担任に言われていました。小学生時代の学力はなんとかキープしていたわけです。ですので、公立高校も私学も選択肢はたくさんありました。

しかし勉強は嫌い。
もし六甲なんかに進学したら、アホほど勉強させられるはず。それは絶対に嫌でした。公立高校も勉強しないといけないだろうと。なんとか勉強しなくても良い方法はないかと模索(笑)していました。また当時は柔道は弱かったものの、柔道が好きで強くなりたかった私は、どうすれば柔道が強くなれるかばっかり考えるようになりました。

勉強しなくてよくて、柔道が強くなれるところ…

そんな高校が世の中には存在したのです。それが報徳学園でした。
(誤解なきように書いておきますが、これは私が高校生になる20年以上も前の話で、今は報徳も勉強に力を入れております)

(柔道整復師・鍼灸師 松村正隆 監修)

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