この世の地獄を味わいながらも将来を確定させた高校生時代

道場の先生が報徳柔道部出身だったこともあり、報徳学園進学を決めたものの、私を医者にさせたい父親からは「報徳なんて行ったら二度と勉強できなくなる!」、母親からは「あんなダサい学校アカン!最低でも関学か甲南や!女の子に相手されんようになるで!私らのころは報徳なんて臭くて相手せんかった!」(母親は中・高・大と神戸松蔭のお嬢様なんです)と猛反対をされたのですが、なんとか押し切り入学しました。

同級生は中学生の頃阪神大会の上位常連ばかり。先輩はヤクザみたいに怖い顔の人ばっかり。練習はえげつないほどキツい。監督は殴る蹴るでとりあえず怖い。

もちろん入学してすぐ報徳学園に入ったことを後悔しました。当時は先輩からのイジメも相当なもので、私はある先輩に目を付けられ、

「お前これから毎日最低10回絞めて落としたるからな」

と言われ、実際に実行されました。ただ、寝技の練習中だけだと10回も落ちません。結局練習中だけでは10回に届かないため、朝練で筋トレしている時や休み時間に教室にいる時にまで襲われきっちり毎日10回絞めて落とされていました。1日に何度も絞めて落とされると、目の白い部分の毛細血管が破れてしまって、ウサギの目みたいになるんですよ。

理不尽が嫌いな私ですから、多分何か先輩命令が出た時にイヤな顔をしてたんでしょうね。だから目をつけられたんだと思います。3年生からも2年生からも一部の人にではありますが毎日殴る蹴るというほぼ暴行を受けておりました。そして柔道も弱いので練習でもボコボコです。柔道でボロボロ、練習終わってからのイジメ(当時は説教と言いました)でボロボロ。

高校入学時187cmで90kg近くあった体重は、なんと入学して3ヶ月ほどで72kgまで落ちました。

地獄のような日々…

そこからは「お前は細すぎる!飯食え!」「稽古してないから筋肉つかへんのじゃ、ボケ!」と怒られ、殴られ、毎日稽古し、筋トレし、ランニングをしました。家に帰ってからも腕立て伏せをしたり、スクワットをしたり、マズいプロテインを飲んだり…

しかし強くなるどころか、私はどんどん弱くなっていきました。毎日朝起きても疲労が取れず、身体が異常にだるい。力も全く出ない。こんな状態で試合に勝てるはずもなく、1年生の頃は試合に勝ったことがありませんでした。弱い公立高校の選手にも投げられるほどでした。今ならこれがオーバートレーニング症候群であることがわかるのですが、当時は「まだ稽古足りひんのか?」と悩んでいました。

また、稽古だけならまだしも、毎日イジメもあります。
正直、

「このままやと死ぬんちゃうかな」

と毎日思いながら学校に行っていました。

しかし、今考えると面白いもので毎日10回絞めて落とされて、殴られ、蹴られ、投げられるのも頭から落とされたり顔から落とされたりしながらのアホみたいにキツい、それこそ今なら死人が出るような内容の稽古(夏なら窓を閉め切って、水を飲むのも禁止して数時間の稽古など)をして、「死ぬかもしれん」と思うほどに追い込まれたら、逆に「なんとかして生き延びないと!」と動物が持っている生存本能が発揮されていくのです。

人生の中でこれほど追い込まれた経験ができるのは若いうちだけですし、今となっては本当に良い経験をしたなと思います。実際、あの頃のあの経験で、私は柔道も強くなりましたが、身体自体も強くなりました。もちろんもう二度と経験したくない地獄ですが。

心安まる接骨院

話を戻します。
そんなボロボロの状態で、毎日それこそボロ雑巾のように扱われていて、しかも私以外のほとんどは小学校低学年とか幼稚園から柔道をやっている猛者ばかりと取っ組み合いをしないといけないため、私は1年生の頃から大怪我を連発しました。肘の脱臼に始まり、膝の靱帯損傷、半月板損傷、肩鎖関節脱臼という大きな怪我はもちろん、捻挫なんかは日常茶飯事という状態で、常にどこかが腫れて痛いという状態でした。

しかし、当時は根性論の時代。膝の内側靱帯を損傷した時は監督に、

「怪我は気合いが足りないからするんじゃ〜」

と言われながら、痛めた膝を踏まれてグリグリされました。
先輩からは、

「お前が痛いふりするから監督の機嫌が悪くなった」

と部室でぶん殴られ、

「お前、練習休んだら殺すぞ!」

と脅され、元々弱いのに怪我でその戦力の数分の一も出せない状態でまた毎日柔道でボコボコにされるという日々を送っておりました。監督の機嫌さえ損なわなければ、昼3時過ぎから始まる練習は夜7時過ぎには終わります。

その時間に終わった時は、今津柔道接骨院に通っていました。思えば、今津柔道接骨院で治療を受けている時と家で寝ている時だけが心安まる時間でした。(なんせ休み時間でも気を抜くと絞めて落とされるので)

毎日の練習は終わる時間が遅いので、接骨院に行くのはいつも診療時間終了ギリギリ。道場の後輩で、柔道も柔術もしている私を診てくださるのは、あえて普通の患者さんの治療を終えてからじっくりとやっていただけました。

しかし、患者さんたちの治療が終わるまで、ベッドに寝たり座ってバケツに足を突っ込んでじっとしたりしているので退屈です。そしてすでに中学生の頃に「将来は接骨院の先生になりたいな〜」と思っていた私は、院内をずっと観察するようになりました。

将来は…!

すでに何度も書いているように、私は理不尽なことが大嫌いです。そして当時は体育会系にドップリ。年上が年下に敬語を使うという究極の理不尽はありえません。

しかし吉野家で牛丼を食べても、マクドナルドでハンバーガーを買っても、丸坊主で学ランを着た明らかに高校生のガキンチョ相手に、明らかに年上のお兄さん、お姉さんが敬語で「ありがとうございました」とか「ご一緒にポテトをいかがですか?」(当時マクドナルドはまだセットメニューが存在しませんでした)とか言うんですよね。

正直、大人になってお金をいただくってこんなにも理不尽でイヤなことなのかと絶望していました。ずっと柔道だけしていたいな、なんて思っていました。
本気で、「大人になんかなりたくない」と思っていました。

それなのに、接骨院では患者さんが「ありがとうございました」と頭を下げてお礼を言いながらお金を支払っているのです。それに気付いた時、頭の中で何かがスパークしたような感覚になりました。

よく考えたら私自身もそうやってお金を支払っていたわけですが、元々親のお金で当時はお金のありがたみもあまりわかっていませんでしたし、道場の先生というフィルターがあったため自覚していなかったんです。

客観的に見て、その事実がわかったとき、

「接骨院の先生になりたいな〜」

から

「将来は接骨院の先生になる!」

に変わりました。

人に感謝されてお金をいただける、当時は接骨院の先生以外にそんな仕事があるなんて想像もしませんでした。(よく考えたら祖父は医者なので同じ状況でしたが全く気付きませんでした 笑)

私の高校生時代は、本当に地獄でした。
これは後の柔道指導にも役立ちますが、私の選手としてのスタイルや性格と報徳学園柔道部のスタイルは全く合いませんでした。逆に体罰もできない今なら、私はもっと強くなっていたと思います。それでも、中学生時代弱小だった私が、全国大会まで経験させていただけたのは報徳学園柔道部のおかげですし、小学生とか中学生の頃とは違い、今でも良い思い出だと思っていますし、大切な仲間と出会えたことは本当に財産だと思います。

だから今は、OBとして報徳学園柔道部のサポートができればとさえ思っております。
ただ、今の記憶のまま中学生の頃に戻れるのなら、報徳学園ではなく自分に合う強豪校を選択するかもしれません。柔道が強くなるという目的だけでドライに考えるなら、ですが。(もう一度書きますが、これは私という選手のタイプと当時の報徳学園柔道部のスタイルの相性が悪かっただけで、報徳学園柔道部に問題があったわけではありません)

ちなみに、なぜ私が幼少期から小学生時代まで続いた母親からの虐待をす〜〜〜っかり忘れていたかというと、母親からの理不尽な暴力なんて、高校時代の地獄に比べれば本当に本当にかわいいものだからなんです。
理不尽さも、例えば高校では先輩が、

「おい、カラスは白いやろ!」

と言われれば「はい、白いです」しかありません。
だからそう返事します。すると…

「アホ、黒いわ!」

と言って殴られるわけです。(これ、実話です)

後輩は監督にぶん殴られて流血して、その血が畳に落ちたら、「畳汚すな!」とまたぶん殴られていました(笑)

今でこそ飲みに行った時に笑いを取るためのネタになりますが、当時は本当にストレスでしかありませんでしたから、こんな理不尽さに比べれば母親の理不尽さなんて顕微鏡レベルなほど小さなものだったのです。

しかも先述したように母親は中学生時代からは夜中まで飲み歩いていましたし、私も強くなっていたので暴力はふるわれなくなっていました。なんせその日生きるのにまさに「必死」だったので、ぶっちゃけ家や母親のことなど考えてる暇も精神的余裕もない、そんな日々でした。

(柔道整復師・鍼灸師 松村正隆 監修)

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