丁稚奉公の始まり

接骨院の先生になるには、「柔道整復師」という国家資格を取得しなければなりません。そして柔道整復師の資格を取得するためには、専門学校で3年勉強しないと国家試験を受験することすらできません。ただ、私がこの業界に入った頃はまだ柔道整復師の専門学校が全国で20校ほど、西日本には大阪に3校あるだけでした。

初任給1万円からスタート

親の事情、そして柔道整復師の学校に関わる情報が全然ない時代、修業を始めた整骨院の院長の言うことだけが情報でした。

いわく、
「鍼灸からしか入れない」

いわく、
「寄付金を積まないと入れない」

全部ウソでした。でも、そんな時代でした。

柔道整復師になりたいのに、鍼灸の学校に入れられました。もちろん寄付金を払って。
(私の出た明治東洋医学院は両方の学科がありましたので結局6年も同じ学校に通うことになります)

実家を出た私は住むところがないので、風呂のないボロボロのアパートに住み込みです。初任給はなんと1万円。そういう時代でした。

鍼灸学校に入れてもらう前の1年、そして資格取得後は「お礼奉公」と言って最低1年は辞めてはいけないというルールまでありました。

いざ働くとこれまた理不尽の極みです。朝から晩までこき使われます。まだ学校に行く前は、昼休みや休日は院長の車を洗車したり兄弟子のマッサージをしたり買い物をしたり(いわゆる使いっ走りですね)。平日の夜はマッサージの練習を日付が変わるまでやらされる。

褒められることなんて絶対になく、毎日ひたすらダメ出し。しかも当時はマニュアルなんてものはないし、何も教えてもらえないので、ひたすら兄弟子や院長が患者さんを触っているところを見て、手順を覚えていきます。わからないから兄弟子に聞いても「なんでお前に教えなあかんねや?」と言われ教えてくれません。たまに教えてもらったらウソだったなんてこともありました(笑)

しかも柔道の現役選手だったので稽古もしないといけない、という状況でした。いや〜、若かったからできたんだと思います。

もちろん暴力もありました。
デキが悪い、気に入らないと殴られることもありました。(さすがに高校時代ほどの頻度ではなく年数回程度でしたが)ホント、当時はそういう時代でした。

この業界のイロハを教えていただきましたが、「このままここにいて、柔道整復師の学校までここから口利きしてもらったら飼い殺される!」と思い、柔道整復師の学校のときは学校内部の当時そこそこエラい人と仲良くなり(たまたま柔道つながりで共通の知り合いがいたんです)、その人の口利きで柔道整復師の学校に入学。とは言っても同じ学校ですが…

鍼灸師になってきっちり1年、在籍5年で退職しました。最初の修業先の院は、院長こそ「接骨院は年寄り相手の水商売や」と豪語する人でしたが、兄弟子に治療の勉強にとても熱心な人がいたおかげで、治療技術の勉強をすることができましたし、患者さんも「痛くなくなったわ〜」とか「楽になったわ〜」と言われるようになることができました。

また、当時のこの経験、まさに治療という仕事を身体に叩き込まれたことは非常に財産で、開業するまでの技術を身につけられたのも、開業してから10年以上西宮市や芦屋市、宝塚市、尼崎市といった近隣だけでなく、神戸や姫路、大阪や滋賀などからも患者さんに来ていただけるようになったのもこの時のこの経験があったからだと思います。

(柔道整復師・鍼灸師 松村正隆 監修)

インターネット予約はこちら
電話予約はこちら