柔道整復師・鍼灸師

松村 正隆 まつむらまさたか

院長 松村正隆

経歴

  • 報徳学園高等学校 卒業
  • 大阪工業大学工学部土木工学科 中退
  • 明治東洋医学院専門学校 第一鍼灸学科卒業
  • 明治東洋医学院専門学校 第一柔整学科卒業

国家資格

  • はり師免許
  • きゅう師免許
  • 柔道整復師免許

特技

柔道五段

戦績

  • 平成 7年 第36回全日本理工科学生柔道優勝大会(団体) 優勝
  • 平成 8年 第37回全日本理工科学生柔道優勝大会(団体) 第3位
  • 平成14年 第35回(社)全国柔道整復学校協会柔道大会(団体) 準優勝
  • 平成18年 第3回日本マスターズ柔道大会(団体) 準優勝
  • 平成19年 第4回日本マスターズ柔道大会(団体) 優勝
  • 平成19年 総理大臣杯争奪第47回西日本実業柔道団体対抗大会 第5位
  • 平成20年 第5回日本マスターズ柔道大会(団体) 優勝
  • 平成21年 第6回日本マスターズ柔道大会(団体) 準優勝
  • 平成21年 第35回(社)日本柔道整復師会近畿ブロック会柔道大会(個人) 第3位
  • 平成24年 第38回(社)日本柔道整復師会近畿ブロック会柔道大会(個人) 準優勝
  • 平成24年 第36回 日整全国柔道大会(団体) 第5位
  • 平成25年 第39回(社)日本柔道整復師会近畿ブロック会柔道大会(個人) 第3位
近畿大会

活動

平成18~23年 夙川学院中学校・高等学校柔道部 コーチ兼メディカルトレーナー

My History

生粋の宮っ子

兵庫県西宮市に生まれ、西宮市に育つ、生粋の宮っ子。
中学2年生より始めた柔道にどっぷりはまり、もっと強くなりたいという思いから兵庫県の古豪、
報徳学園高校に進学し柔道部に入部しました。

柔道にどっぷり浸かった高校時代

高校時代は柔道漬けの毎日。
1年間のうちに休みは数日しかなく、1年生の時は先輩からのいじめや練習のきつさから入学後1ヶ月で体重が20キロ近く落ちてしまいました。
また、いくら練習を頑張っても筋肉トレーニングを頑張っても全く体重が増えることもなく、筋肉がつくこともなく、高校1年生から2年生の間はとても悩んでおりました。
(それがオーバーワークであることはこの業界に入ってからわかりました)
この頃よりケガ等で接骨院のお世話になり、将来の職業は接骨院(整骨院)だと決心しました。
この頃通院していた接骨院は、後に知ることになるのですが、とんでもなくほねつぎの達人だったとのことです。
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丁稚奉公

現在、当院があるこの場所に阪神大震災前まで祖父が「松村医院」という内科の医院をやっていました。
元々理系の家系だったこともあり、体育会系特有の理不尽な上下関係に嫌気がさしたことと、
普通の大学生をしてみたいという思いから、大学に進学してから柔整の専門学校に行こうと呑気に考え大阪工業大学に進学しました。
しかし「理系の学校」ということで授業数の多さ、また専門性が高いこと、またその業種に将来つきたいという人の集まりであることから、
元々「適当に大学生活を送り、適当に柔道して、4年で満足したら専門学校に行こう」と思っている自分には
全く不向きな大学ということが身にしみてわかってしまいました。
大学2年生からほとんど授業に出ず整骨院で働き始め、その後大学を中退し専門学校に進学することとなりました。
働くといっても、初任給は1万円、勤務して5年間は一番多い時で5万円という、まさに「丁稚奉公」でした。

医療とはかけはなれた職場でのストレス

鍼灸の資格取得を期に退職し、激戦区と言われる大阪市内で当時とてもたくさん患者さんが来院すると評判の整骨院で勤務してみました。
約5年間一生懸命働き、本院の副院長、分院の院長を任されるようになることができました。
しかし、そこの院は決して腕が良いから流行っていたというわけではなく、超がつくほどの過剰なサービス、異常な労働時間でした。
これは、要するに受付時間が長いということと、急患でもないのに受付時間が終了してから来院された患者さんも受け入れるという状態が原因だったのですが…。
また利益至上主義から、院主催のミーティングや勉強会はほとんど治療技術的な内容はありませんでしたし、
あってもかなり低いレベルでした。患者さんとの会話の仕方(吉本新喜劇を見にいけとよく言われました)、
スタッフのモチベーションを上げるために時には怒鳴ったり、時には優しく感動話をしたりと
「明らかに医療とは違うモノ」になってしまっていることに、相当の違和感を感じながらの5年間でした。
この間は自分で治療のセミナー等を探して参加したり、知り合いの院に見学にいかせていただいて技術を教えていただいたりしていました。

自分が目指したかったもの

この頃より、自分自身の独立開業に対しての考えが、ただ「技術を身につけてとりあえず開業したらなんとかなるだろう」ということがとても甘いと痛感し日々悩んでおりましたが、
職人と言われる先生との出会いや、異業種の会社経営者の方等の出会いによって、少しずつではありますが、自分の院の運営スタイルというものができてきました。
平成16年の夏に自分のビジョンを実現すべく退職し開業準備に入りました。

一流チームでのトレーナー経験を経て開業

開業まで半年ほどあったので、少し違う事がしたいと考えていたところに合宿中の専属スポーツトレーナーの話が舞い込んできたので、専属でのトレーナーという経験は初めてだったのですがチャレンジすることになりました。
当初、「社会人のラグビーチーム」としか聞いていなかったが、合宿に参加する前々日に「サンヨーワイルドナイツ」というトップリーグのチームであるところだと知らされびっくりしました。
練習嫌いなトンガ人にいかに練習休ませないか、痛みにナーバスな選手をいかに納得させるかなどにかなり頭を悩ませながらも、結構楽しく仕事をさせていただきました。
合宿最終日にはなぜか契約金の話と契約年数、年棒の話をされたのですが、開業が決まっていたので泣く泣くお断りさせていただき
(この時は当時の監督直々にかなり熱心に誘っていただき、後日お電話までいただいたので本気で開業を3年ほど延期しようかと思ったほどでした)、
平成16年で仕事を納めることとなり、本格的に開業に向けての準備をし、めでたく平成17年2月14日に開業することとなりました。
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