受付岩永 晴美 はるさん

岩永晴美

経歴

  • 京都出身

特技

  • 英会話

初めまして、岩永です!

好きなこと、キライなこと

京都生まれの京都育ちで、光GENJIが大大大好きな子供時代を過ごしました。
部屋は光GENJIのグッズとシルバニアファミリーで溢れていました。

今では食べる事と2時間ドラマのサスペンスを見る事が大好きです。
ちなみに、夫には「天気予報とサスペンスばかり見てるから何も知らないんだ」と言われます。毎年の流行語ノミネートすらも知りません。笑

特にチョコレートが大好きで食べない日はありません。
食べることは大好きなのですが、苦手な事、嫌いな事は「料理」。

包丁はもちろん苦手でいつもペーパーナイフを使っています。
さらには、一度油と食器用洗剤を間違え、フライパンに洗剤を入れて炒めて食べた事があります。途中「何か臭うし変だな」とちょっと思ったのですが、食べるまで気づきませんでした。
こんなんですが一応主婦やっています。笑

憧れのアメリカへ!

高校を卒業後すぐに18歳でアメリカ、サンディエゴ近辺に留学。
高校3年の春休みにシカゴに遊びに行きそこで刺激を受け「私もアメリカで暮らしたい!」と、高校卒業後の約4年間をアメリカで過ごしました。

元々英語が好きで1番の得意科目だったこともあり、高校2年生から3年生の2年間は新設された英語の特別クラスに在籍していましたが、やはり実際にアメリカで暮らし始めると何を言っているか分からない事は多々あるし、誰一人知ってる人もいない、何も知らない初めての土地での生活で、最初の3ヶ月はホームシックで本当に毎晩ベッドで泣いていました。
しかしいつの間にか「もう日本に帰れなくていい!一生アメリカで暮らしたい!」とまで思うほど楽しくて楽しくて仕方なくなっていました。笑

真っ黒!ハッスル!なアメリカ留学時代

少々おバカな部分もあり…
元々色白な方なのですが、どうしてもそれがイヤだったため「せっかくカリフォルニアにいるんだから黒くなりたい!!」と思い、一度朝の10時頃から夕方5時頃まで、1回も海に入る事なくビーチで横になっていたら、次の日の朝、起きたら全身日焼けで(と言うかもう火傷)、瞼まで水ぶくれで腫れ上がって倒れた事があります。
顔まであまりに腫れ上がっていたため、心配した友達がアロエジェルを持って来てくれ、「日焼けにはアロエが良いんだ!」と知りました。笑

普段から「黒くなりたい」と日焼け止めクリームを使用しておらず(その後も懲りずに使用していませんでした)、カリフォルニアの強い日差しの元「何て恐ろしい事をしていたんだろう」と、後になってものすごく後悔中です。(シミが…泣)

しかしそのおかげ(?)で、黒光りするほど真っ黒になることができました。笑
そして、黒光りすると同時にピザ、コーラなどジャンキーな物ばかり、それもかなりの量を食べていたので体重も10キロ以上増えていました。
一時帰国した際、母親に第一声「どこの女子プロレスラーが来たのかと思った」と言われるほど黒光りして太っていました。
父親は何も言いませんでしたが、私を見た時の目が物語っていました。笑
でも周りに大きな人もいっぱいいたので、自分ではそんなに大きくなっている危機感は全くありませんでした。
(あ、大食いはアメリカで始まった事ではなく、ずーっと昔から食べるの大好き大食いしん坊です)

こうして楽しすぎた留学生活も終わり、泣く泣く帰国した後は(帰国時の飛行機の中でもずっと泣いていました。笑)、地元京都で1年と少しこども英会話スクールで講師として勤務していました。
ちなみに…帰国し和食の生活に戻ったら、何もせずに自然に痩せました。でも周りに「合わないでしょ」と気持ち悪がられながらもコーラが辞められず、「コーラと白いご飯」は暫く続けていました。笑

関西国際空港国際線で数々の経験

その後転職し、関西国際空港で国際線のグランドスタッフとして約10年間勤務しました。空港勤務の10年間は、テレビ出演や、パトカーに乗せられ空港警察署に連行されて事情聴取されたり(もちろん私は悪い事は何もしていません。後に社内で部長表彰を受けました)、本当に色々貴重な普段はできない様な経験もしました。

でも飛行機は…

ちなみに、飛行機の会社で働いていたにも関わらず私は飛行機が怖くて苦手です。
高い所が苦手で観覧車等にも乗れません。出張の際、会社からはもちろん飛行機のチケットを手配されるのですが、自腹で新幹線で移動した事もあります。笑

空港は24時間年中無休のため、勤務は深夜早朝関係なしのシフトで内容もつらく大変な事が多々ありましたが、周りのみんなに支えてもらい、「こんなにみんな仲の良い会社って他にある?」というぐらいいつもみんなでワイワイ仲良く楽しく過ごせた事、そして幼稚園2年間、中高6年間の皆勤賞の根性で頑張りました。笑

めざせ皆勤賞!

皆勤賞と言えば…
私は中学高校と私立の女子校に通っていたのですが、中学から高校に上がる生徒だけが対象となる「中高6カ年皆勤賞」と言うものがありました。中学に入学してすぐにそれを知り「絶対に皆勤賞を取るぞ!」と誓いました。

私の家は山にあり、当時は最寄りのバス停まで20分ちょっと山を降り、そこから最寄りの駅までさらに20分ちょっとバスに乗らないといけませんでした。冬にはすごく雪が降り積もります。その時期には車も通らなくなるので、近所のオジサンがスキーで降って行くのを見た事もあります。
猿やイノシシ、きつね、イタチなどが出るのは普通でした。
(ちなみに現在は、数年前に山が削られ高速道路等ができ、環境がすっかり変わってしまい面影もありません。便利になったのでしょうが、周りの沢山の方々が立ち退きになっていなくなり、実家も半分になり広かった庭も全てなくなって寂しい限りです…)

大ピンチ!

中学のある冬の日の朝、母にいつものように車でバス停まで送ってもらう途中、雪はそんなに積もっていなかったのですが、なんと道が凍っていて車がスリップして横転してしまいました。
家から200メートルほど下ったところで、母の運転席側を下にして横に倒れてしまったのです!

車には母と私の2人が乗っていて2人とも全く命に別状はありませんでしたが、母は割れたガラスで手を切ったりしていました。
どうしようっどしようっっ‼︎となりましたが、母に「(皆勤賞があるから)晴美、行きなさい!!」と言われ、横になりながらも何とかドアをこじ開け、母を置いて1人車から脱出し、バス停まで走りました。
そんな状況の中でも皆勤賞のために…すごい母だと今更ながら思います。笑

怖くてビックリしたのと母を1人置いて来てしまった事が気がかりでならず、バス停まで走る間足は震えていて、無事に学校まで辿り着きましたがずっと足はガクガクでした。笑
私が行った後、母も何とか自力で車から脱出し、通りかかった近くの方に手伝ってもらって車を起こして動かし、横転現場のすぐ近くの友達の家で電話を借り(当時は携帯電話はほとんど普及していなかったので)、家にる当時小学生の妹に電話をして来てもらい…等だったとの事です。
こんな出来事もあったので、「もうこれは絶対に皆勤賞を取るしかない!」とさらに誓いました。笑

ちょっとどんくさいですが…

すでにお気づきの方も多いと思いますが(笑)、私は少々どんくさい面もあり…

小学校3年生の時、育てていたヘチマの観察に行く途中階段から落ちて足を骨折した(今でもよく覚えています。笑)のをはじめ、今までに両手両足の骨折を経験しています。
8、9回ほどギプスにお世話になっています。(決してスポーツをやっていたわけではありません)
頭を怪我して縫ったり、台所のガスコンロで髪の毛を焦がしたり、レンジとオーブンが違う物だと知らずに使用し、気づいたら部屋中煙だらけで息ができなくて死にかけたり…。笑

大人になってからも、新婚旅行前に足を骨折し(家の中で骨折しました。笑)、松葉杖と車椅子で新婚旅行に行きました。良い思い出です。
あまりのどんくささに夫からは「家の中でもヘルメットを被っとき!」と言われ、カッターの使用は禁止され、車の運転ももちろん夫、私の家族両方から反対されてできず、免許はずっとゴールドです。
一度スキーにも行ってみたいけど、周りから「スキーなんてもってのほか‼︎」と反対されて未だ未経験です。

お待ちしてます!

お待ちしてます

結婚後も空港勤務を続けていましたが、夫の仕事の関係で神戸に移る事になり退職。
その後ご縁があり、2016年5月からまつむら鍼灸整骨院でお世話になっています。

お世話になり出してからあまりの居心地の良さにまた少し太ってしまったので、ただ今絶賛ダイエット中です。
少々どんくさい私ですが、お仕事に関してはどんくささを封印して頑張っておりますので、ぜひ皆さんもこんな居心地の良い院で、体も心もスッキリ真っ直ぐしに来て下さい!

(柔道整復師・鍼灸師 松村正隆 監修)

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