3.11

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

実は震災に関することはあまり書かないでおこうとか考えていたんです。
だって、正直なところ私みたいな人間が、ブログであの震災のことを書いたところで復興が進むわけではないから。
地震があったという事実が無くなるわけではないから。
当院でとってる新聞の今日の朝刊の見出し。
「風化させてはいけない」
これにものすごく違和感を覚えたんです。
だって、心理をあおってあおって、あおりまくるのもマスコミなら、全く取り扱わないで風化を促進させるのもマスコミだからなんです。見てちょっと怒りすら出てきました。
私自身、阪神大震災の被災者でもあります。
でも、どちらが被害が大きいとかそんな問題ではなく
「自分も被災者だから、東日本の被災者の気持ちわかる」
なんて思えないですし、そんなことは言っちゃいけないような気がします。
私が震災を見て最初に感じたのは無力感。
別に大局的なことで無力感を感じたわけではないです。
科学者ではないので、原発をどうこうできるわけでもない。
医者ではないので、死にかけている人を救うわけでもない。
こういう時、柔道整復師として、鍼灸師として何ができるのかと考えた時、たいして何もできないんだなと言うことが理解できてしまったんですね。もちろんできることはありますよ。
でも、それってとっても局地的なことだったりするわけですし、被災された方の苦しみや悲しみをどうこうできるものでもなんでもないんですよね。
そこでまず無力感。
その後、実はすぐに所属している(社)兵庫県柔道整復師会から震災後結構すぐにボランティア募集の案内が回ってきたんです。
しかし、もちろん一人で院をやっている私は生活があるのでそれに参加することができない。
そう、自分自身の生活を守るためにそこに行くことができないという無力感。
お金持ちの人とか、ものすごい大金を寄付していたけど、もちろんそんな大金見たことも持ったこともない私にはできないという無力感。
「あ〜、俺ってな〜んにもでけへんやん」
これしかなかったですね。
あまりにも無力すぎて悔しくもない。
で、自分が被災した時どう思ったか?
それを思い返したんですね。
私は器が大きい人間ではないので、正直大阪でパチンコ屋が通常営業したのにも腹が立ちましたし、逆にな〜んにも経験してない人間が、神妙な顔してテレビでもっともらしくなんかしゃべってるのもムカつきました。
なんか矛盾してるんですが、かまって欲しいわけじゃないけど、かまわれすぎるのも嫌というかなんというか。
それに、被災してない人(家もあって、もちろん水もガスも電気も当たり前にあって家族も揃っている)に、涙を流されながら「かわいそうに」なんて言われても、全然何の足しにもならんと思っていました。
そうなんです。
今、私が無力感を感じたところで被災者の方たちは何の足しにもならんのです。
それで凹んで、経済が鈍化したって話を聞く方が、被災者としても心苦しいものがあるんじゃないかとも思います。
例えばうちの祖母は、震災前にひいていた風邪を震災後、ガスも水もない中こじらせてしまい、結局最後は結核を患い、ちょうど地下鉄サリン事件の時位に亡くなりました。
祖父は祖母は亡くなって寂しかったのでしょう、酒の量も増え、祖母の死から少しして亡くなりました。
これは被災じゃないのか?
阪神大震災での死者は6434人と言われていますが、その中にうちの祖父母は入っていないわけです。
そういうことを考えるうちに色々思ったんですね。
私からしたら、阪神大震災で6000人以上亡くなったという事実よりも、震災の影響で祖父母が亡くなったことの方が今でも鮮明に覚えているんです。人ってそんなものです。
災害を語るとき、「◯◯大震災」とか「◯◯台風」とかそういうひとくくりで、◯万人の犠牲とかなんか違うんですよね。
まるでたくさん犠牲者がいた方が、悲劇ランクが上みたいな・・・・
例えば阪神大震災では、人が地震で亡くなったという出来事が6000件以上あったということなんだと思うんです。
東日本大震災では、それが20000件以上あったということなんだと思うんです。
報道もね、そういう考え方で何かしら報道していただきたい。
東日本大震災は、20000人以上の人が犠牲になったというたった1件の出来事ではないと思います。
以上。

(柔道整復師・鍼灸師 松村正隆 監修)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

インターネット予約はこちら
電話予約はこちら