う〜ん、痛そう・・・・
蝶野の必殺技のひとつ、ケンカキックです。
こんにちは、西宮のまつむら鍼灸整骨院の松村です。
我々世代はプロレス好きの方も多いんじゃないでしょうか?
子供の頃はゴールデンでワールドプロレスが放送されてましたからね(笑)
私が好きな技は「インディアンデスロック」でした。(意外に渋い・・・)
さてさて、本題に入ります、マジメに(笑)
以前に書かせていただいた、
「早く治る人、治らない人」
と、昨日書かせていただいた
「慢性的な腰痛や肩こりのちょっと変わったセルフケア」
では、「痛み」に対してのケアや、脳で起こっていることを書かせていただきました。
「痛み」にフォーカスせず、他人に優しくすることで「痛み」が緩和されるということでした。
今回のブログでは、そもそも「痛み」ってなんやねんってことを少し書いていきたいと思います。
「痛み」の定義
国際疼痛学会による痛みの定義は
「An unpleasant sensory and emotional experience associated wich actual or potential tissue damage,or described in teams of such damage.」(1986年)
と言っております。
「(痛みとは)不快な感覚的・情動的体験であり、それには組織損傷を伴うものと、そのような損傷があるように表現されるものがある。」
という意味になります。
かなり乱暴に要約すると
「組織の損傷がある、無しに関わらず、【痛み】という言葉で捉える体験はすべて【痛み】である」
とも言えるのではないでしょうか?
要するに、患者さんが痛いと言えばそれは痛みであるということになります。
我々医療に携わる側の人間は、ここで問題が出てくるわけです。
「痛み」の問題点とは
「痛み」というものは、その人が「痛み」という体験をしたら、それはすべて「痛み」であるというのが、「痛み」の定義だと先述させていただきました。そうなると問題も出てくるわけです。
他人の体験をどう評価するか
例えば血圧や血糖値、GOTやGPTと言った数値的なものなら、高い低いを基準値から評価することができます。しかし、CRPという炎症がある時に高くなる数値がありますが、それが高いからと言って、必ず痛みがあるとは限りません。
結局、患者さんが10痛いと言えば10痛いということになってしまうのですが、腰痛や肩こりであっても、痛み以外の症状では同じようなレベルにも関わらず、今にも腰が爆発するんじゃないかというほど痛みを訴える方もいれば、平然と「痛いです」とだけ言う方もいる。
我々のように臨床、いわゆる現場で治療をしていると、どうしても「痛み」が治療評価、今後の方針にもつながってくるので、なるべく客観的に評価したいが、「痛み」に関してはそれがなかなかできないという問題が出てくるわけです。
「痛み」という言葉の意味の違い
もう一つの問題は、言葉の問題でもあります。「痛み」というだけでは、かなり大きなカテゴリーになってしまうのです。
例えたら「ネコ」とか「イヌ」とか「車」と同じようなもので、人によって「ネコ」という言葉で体験したものも違いますし、そもそもたくさんの種類がいます。
「重だるい」という感覚を「痛み」と捉える患者さんもいますし、「重だるい」は「痛み」ではないと捉えている患者さんもいるわけです。
例えば、足首の捻挫の際、骨折したんじゃないかというくらいの「痛み」を訴える人もいれば、同じ捻挫でも、それを「痛み」と患者さん自身が主観的に認識しなければそれは「痛み」ではないということになってしまいます。
肩こりを「痛み」として認識する患者さんもいれば、肩こりは「こった感じ」であって「痛み」ではないという患者さんもいるわけです。そしてこの言葉の意味の違いが、もうひとつの問題も出てくるのです。
患者さんの主観をどこまで信用するか
これは何も患者さんが嘘をついていると言っているわけではない。
患者さんの主観が、我々が検査や問診等で得た情報、すなわち客観的な評価と食い違っている場合のことを言います。
我々治療する側から診て、「うわ、ここ痛いんとちゃうかな」と思っても、患者さん自身は「痛み」といして捉えていない場合もあるということです。
患者さん自身は痛いとは思っていないけれど、実は「痛み」があるという場合です。
先述したように「痛み」の定義が、患者さんの主観的体験であるならば、それは「痛み」ではないということになるのかもしれないので、ここは非常に悩まされるところでもあります。
実はこれは、痛みのレベルの問題や、患者さん自身の「痛み」の捉え方の違いによって起こるものでもあります。
また、肩こりや慢性的な腰痛のような場合、急激に痛くなったのではなく、徐々に「痛み」が強くなっていったような患者さんは、長い期間で「痛み」そのものになれてしまい、まあこんなもんだろうという感じで、「痛み」は感じているけれど、患者さん自身はそれほど痛いと思っていないということもあるのです。
まとめ
さて、「痛み」と言っても、それだけもかなり様々な問題点があるということがおわかりいただけたと思います。
最近、ありがたいことに、患者さん、まだ当院には受診しておられないが、受診しようかと思っている人、そして同業の先生、他の医療関係者の方と、たくさんの方にこのブログを読んでいただいております。そこで、医療側と、患者さん側の両方から、この「痛み」というものに関してどのようにアプローチしていくといいかを書かせていただこうと思います。(医療側は自戒もこめて)
臨床家のアプローチ
患者さんの「痛い」「痛くない」をどう捉えるかが課題となってくるのではないかと思います。
まず大事なことは、「痛み」というものが、患者さん自身の経験から来るものであるということを念頭に置いておかなければならないということになります。
そして、臨床家から診て「痛み」があるけれど、患者さん自身はその経験を「痛み」と捉えていないという場合には、それを丁寧に、そして十分に説明した上で、患者さん自身が自覚していない「痛み」に対してアプローチしていけば良いと思います。
また、我々臨床家は患者さんが「痛い」「痛くない」と言うから「痛み」が「ある」「ない」ではなく、患者さんの身体に表れている「痛み」によって起こる現象(筋スパズムやROM制限、徒手検査の結果等)患者さんの「痛み」に関わる様々な現象を総合的に評価することによって、「痛み」の本当の有無、程度、悪い部位、経過、日常生活への影響、原因を決めていくべきでしょう。
また、臨床家の経験値も重要な要素になってくると思います。
理想は、自らがそこそこガチンコで競技をやり、捻挫や肉離れ、できれば靱帯損傷等の経験があることと、外傷以外でも練習をしすぎたことにより起こる慢性的な痛みの経験を十分にしていることです。
ただ、必ずしも自身が「痛み」を経験しているから、それがそのまま役に立つかどうかはわかりません。
なぜなら、「痛み」とは本人の経験による、主観的なものですので、臨床家自身の経験がそのまま患者さんに当てはまるわけではないからです。
そこで大きな武器になってくるのは、臨床経験です。
色々な「痛み」の患者さんを経験することによって、自身だけでは経験できないデータが蓄積されていくのです。私の場合で、臨床経験が20年、診た患者さんののべ人数は10万人をゆうに超えます。
その分のデータ蓄積があるわけです。
私が主宰する勉強会に参加されているベテランの先生は、臨床経験30年、のべ50万人近くの経験があります。ちなみに西宮市の人口が48万人くらいですから、本当にすごいデータベースを持っていることになります。大学等で研究をする研究者ではなく、柔道整復師、鍼灸師、マッサージ師等として臨床に携わるなら、知識はもちろん重要ですが、技術と、そして経験の量が大きな武器になります。
知識ばかりだと、判断材料に偏りがあるので、結局は本当に正しい評価をするのは非常に難しいということになります。
私ものべ50万人の経験を目指してデータの蓄積に勤しんでいるわけですが、今なら「開業するの、もう少し遅くでもよかったかな?」と思えます。
開業当初は、自分の知識、技術を存分に発揮したい、そして大きな独立心から開業しましたが、あの時点でギリギリ開業してもなんとかなるかならないかレベルのデータ蓄積だったと思います。
その点、最近はかなり若くして開業する方が多いですが、そういう方はよく「量より質だ」と言われますが、我々が修業した頃と比較しても、質が上がったとは言えないこの業界ですので、まだまだ経験不足な私と比較してもなお量が不足している若い臨床家は、頭でっかちにならず、いつ開業するのかをしっかり考えた方がいいのではとも思います。
痛みに対する評価やアプローチは、患者さんの身体の状態を総合的に判断し、そして言葉でしっかりコミュニケーションを取り、自身の経験から想像し判断していく、ということが重要になってくるのだと思います。
患者さんのアプローチ
さて、患者さん側も、できれば「痛み」の定義を理解していただき、臨床家(いわゆる先生と言われる人たち)に、自分の「痛み」をなるべく詳細に伝える努力をしていただいた方がよりよい効果を出すことになると思います。
結局のところ「痛み」とは主観的なものであるので、他人である臨床家には「腰が痛い」と伝えても、患者さんの「痛み」を100%把握することはなかなかできないという現実があります。
そこで重要になってくるのが、しっかり理解しようという臨床家の意志と、しっかり伝えようとする患者さんの意志の二つだと思います。
「今日はどうされましたか?」という質問に対して「痛い」だけの回答だと何もわからないということになります。
また、「痛み」は体験、経験からくるものなので、痺れを「痛み」としているのか、そうでないのか、想だるさを「痛み」としているのか、そうでないのかは聞いてみないとわからないものです。
もちろん、我々臨床家はそれらをしっかり把握するために、様々な質問をしますが、「痛み」で話すのもめんどくさい、そんなものはプロなんだから身体触って判断しろよと思われる方もいるかもしれませんが、臨床家はエスパーではありませんので、しっかり伝える努力はしていただければと思います。
例えば腰痛で受診されるのであれば、どんな時に「痛み」が増すのか、どんな時に「痛み」は軽くなるのか、そして「痛み」を別の言葉で表現するとどのような表現なのか(ジンジンとかズキズキとかズーンとか)を少し考えていただけると治療方針や評価の助けにもなるので、治療そのものがスムーズに進行すると思います。
臨床家は日々精進すべし
今回は「痛み」について、少し長い文になりましたがかなり論理的に説明させていただきました。
臨床家、患者さん共に重要なことは「痛み」は主観的なもので、その人の経験・体験から定義されているということを知っておくということでないでしょうか。
「この痛み、わかってくれないの?」という感情論は今回は抜きで書かせていただいております。
我々臨床家は、言葉の力で患者さんの「痛み」を把握するか、そして自身のデータベース、知識、技術において総合的に評価することができるかが臨床家の度量になるということだと思います。
結局のところ、しっかりと患者さんとコミュニケーションを取って、お互いが相互理解して一緒に身体を治していくという姿勢が本当の治療の姿なんだと思います。
※参考文献
「構造構成主義とは何か」西條剛央著
「わかりやすい構造構成理論」岡本拓也著