生粋の宮っ子

私が知っている範囲でも、祖母が西宮市染殿町で育っていますので、祖母のその前からずっと宮っ子です。祖母は近くの用海小学校から現在福祉センターがあるところに存在した西宮女学校(現・市立西宮高校)
父も叔父(父の弟)も私も用海小学校、今津中学校、母親も甲子園育ちという生粋の西宮生まれ、西宮育ちの宮っ子です。ちなみに叔父と私は幼稚園は善塔幼稚園出身と、西宮の生え抜きです。

生まれた時からデカかった(笑)

実は私、2週間早産で、しかもタスキ状ではあるもののヘソの緒が首に巻き付いた状態で生まれてきました。

しかし体重4kg(笑)

ただ、生まれてすぐは泣きもせず、私を取り上げた医師は「死んでる?」と思ったそうです。
また、ガリガリだったそうで、ガリガリなのに4kgもあるので何度も体重計に乗せ直したとか。その時の体重計の乗せるところが鉄だったため、その冷たさで泣き出したそうです(笑)。

実は阪神大震災までは、祖父が現在当院がある場所で「松村医院」という内科のクリニックをやっていました。その祖父の医者仲間で、当時JR西宮駅近くにあった佐治(さじ)産婦人科という医者仲間のクリニックで生まれたのですが、祖父の葬式の際、私を取り上げてくれた先生に

「骨がごっついからデカなると思ってたけど、ここまでデカなるとはな〜」

と言われました。
ちなみに、初乳の量が通常の3倍の量を一気に飲んだそうなのですが、2週間早産で4kg、初乳の量ともに祖父の葬式があったその日まで、記録は抜かれていないそうです。
(現在、このクリニックは当時の先生が亡くなられ閉院されています)

理不尽なことが大嫌いになった理由

実は私、母親から「虐待」と言ってもいいんじゃないかと思うようなことを受けておりました。もちろん当時はそうとは微塵も感じていませんでした。というか、「才能心理学」という学問を学び、そこで過去を掘り起こすワークをしたのですが、その時になって私の子供の頃の記憶をたどっていくと「どうやらこれは虐待レベルだぞ」という感じになったのです。(要するにすっかり忘れていたのですが、なぜ忘れていたかは後述させていただきます)

自分勝手でワガママで気分屋、そんな母親でした。

母親

私は常に殴られていました。私が悪い時はもちろんですが、自分の機嫌が悪い時は理由なく針金のハンガーやプラスチックのバッドで殴られたり、玄関のタイルの床に何時間も正座させられ、往復ビンタの嵐を喰らっていました。

ご飯を食べている時に機嫌が悪いと、理不尽な理由で急にブチギレてご飯が入った茶碗を私に投げつけてきました。私も慣れたものですのでそれを避けると、もちろん茶碗は割れ、床にご飯が「ベチャッ!」という感じで落ちます。
すると…

「汚れたやないのっ!!!」

と理不尽に怒り私を殴る、そんな母親でした。(超実話です)機嫌が良い時は楽しく話をするのですが、私自身はいつ何時機嫌が変わるかわからないのでいつも臨戦態勢で警戒していました。まるで武道家かアントニオ猪木のようですね。

今考えると、料理も下手で、なおかつあまりしていませんでした。私は好き嫌いが多いほうで、今でこそ食べられるものは増えましたが、当時はほうれん草のおひたしや茄子も嫌いでした。高校時代、同級生の家に泊まりに行った時にわかったのですが、食材がマズいのではなく、母親が料理が下手でマズい、もしくはスーパーの出来合いを買ってきていたからマズい、ただそれだけでした。

それだけでなく四角い卵焼き(もしくはだし巻き)は業者しか作ることができないと思っていましたし、食事中もいつキレるかわからない、しかし腹は減るから(なんせ初乳が一般の三倍なので 笑)、たくさんの量を素早く食べるという、いわゆる早食いが特技のようになりました。

本当は一番安心できるはずの自宅で、常に理不尽な思いをしていた私は、この頃から理不尽なことに対して過剰に反応するようになっていました。

(柔道整復師・鍼灸師 松村正隆 監修)

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