迷走したまつむら鍼灸整骨院

新たなスタッフ雇用を辞め、所属するスタッフのほとんども退職していただくことにしました。

一人だけ、18歳から勤務した子は、しっかり国家資格を取得し、これからという時に彼の父親が癌で他界。学費を自分で支払いながら鍼灸あんまマッサージの学校に行きたいということと、その鍼灸あんまマッサージの学校の授業が朝から夕方まであるため、勤務時間が1日3時間程度になるため給料もそれほど出せないということになり、その彼も退職することになり、私は一人になりました。

1日80人近くを1人で診ることなど到底できません。待合室は常にいっぱい、椅子にも座れず1時間以上立って待たないいけないという状況になりました。また、私自身もスタッフ問題による心の疲労と毎日の忙しさによる身体の疲労で、毎日イライラしていました。

とうとう患者さんから、

「先生のところ、いつもいっぱいやしむちゃくちゃ待たなアカンからもう来るのやめるわ」

という声がチラホラと出るようになります。開業当初、あれほど「患者さん来てくれへんかな!」と思ってた私が「患者なんて来なかったらええのに」とまで思うようになっていました。

それでも、生活のための惰性の仕事で1日に60人ほどの患者さんを治療し続けておりました。30代で、血圧が180を超え、無呼吸症候群になり、夜に呼吸が止まって苦しくて何度も目が覚める、そんな状況にまでなりました。また、この頃は行政からの保険の締めつけも厳しくなり、毎日ヘトヘトになるまで治療をしても所得が減っていくという状況で、まさしく身も心もボロボロになっていました。

毎日忙しくて死にそう、かと言ってもう人は雇いたくない、行政の締めつけは厳しくなる一方で、提供したい治療を存分に提供することもできない、という当時の私としては八方塞がりの状況になり、

「もう、院を閉めようか」

と思うようになりました。
毎日寝る前に、

「院閉めたらどっかで働かなアカンな〜」
「今更雇用されて辞めずにやってけるかな〜」

などと考えていました。
この頃の私は、完全に負け犬でした。

今後を左右する決断

開業してからずっと、私は(社)兵庫県柔道整復師会という、柔道整復師の公的団体に所属し、執行部員として会の仕事にも携わっていました。忘れもしない2012年10月、私はこの会の支部総会というものに出席します。

その総会で、元・会のえらい先生で地域ではそこそこ大御所と言われる先生が、

「君ら若いもんがもっと請求を出せ!ビビるから行政がつけあがるんだよ!肩こりなんかは首の捻挫でいいんだよ!それだけだったら単価低いからどこかの捻挫も付け足して請求したらいいんだよ!」

と、まさかの不正請求の強要のようなことを発言されました。西成のあの院を思い出し、むちゃくちゃ頭に来たのでそのまま帰りました。あんなのが大御所とされているこんな業界はもうダメだ、もう辞めよう、そう考えました。

しかしいざ閉院を考えた時、開業して院が流行りだして忙しくしていた時期に、「調子乗ってる」だの「脱税してる」だの根も葉もない噂を立てた人達の顔が浮かんできました。

今、自分が負け犬のような状態になっているのをあいつらが見たら、絶対にあざ笑うだろう。そう思うと本当に悔しくて悔しくて泣けてきました。

「まだ、負けるわけにはいかない!」

そう思いました。そして、そこで初めて自分が迷走していることに気がついたのです。

私は、患者さんに「ありがとう」と言っていただきたくてこの仕事を選択したはずだったのです。それなのに、スタッフに翻弄され、日々の忙しさに翻弄され、そんなことをすっかり忘れ、ただ生きていくためだけに仕事する、そんな自分のプロ哲学からも逸脱するようなことをしていたのです。

「もう一度開業するつもりでやり直そう!」

そう決めました。

そして、翌年の2013年から制約が多く、自分の技術の10分の1も発揮できない保険でやり続けるよりも、私が今まで学んできた技術を出し惜しみすることなく提供できる自費治療にしようと決めました。

今まで受診されていた患者さんには、ひとりひとり丁寧に説明させていただきました。

「へ〜、先生あれで本気じゃなかったの?楽しみやな〜」
「そっちのほう(自費治療)が助かるわ!」

という喜びの声をいただく一方で

「もう来えへんわ!」
「先生も金儲けに走るんやな!」

という声もいただきました。
面白い(と言えば不謹慎ですが)、開業当初から来ていただいていた患者さんからは、ほとんど歓迎のお言葉をいただき「先生、頑張ってや!」と言っていただき、スタッフを雇用している時や迷走している時の患者さんからは大クレームをいただくという感じになりました。やはり仕事に対する姿勢がそのような差を生んだのだろうと感じました。

閉院の危機

2013年1月から、完全予約制、完全自費治療の整骨院としてリスタートしました。残ってくださった患者さんはいたものの、それだけでは売上は全然足りません。

開業した時の借金の返済もまだ残っていたのですが、売上の金額より返済の金額のほうが多い状況になりました。「このままだと半年もたない」という状況に追い込まれました。

「やっぱり俺はもうアカンのか」

と絶望しかけました。しかし、残っていただいた患者さんのことを考えると、このまま潰れてしまうわけにはいきませんでした。

復活

今まで私が勉強をすると言えば、治療のことがメインで、スタッフ雇用をしていた時だけマネジメントや経営のことを勉強していましたが、それ以外は全く無知でいわゆる「治療バカ」でした。そんな私が、初めて治療以外のことを勉強することとなります。それは「マーケティング」というものでした。

ただ当時は「マーケティングって値引きとかで人を煽って胡散臭いものを売りつけるヤツでしょ」という認識でした。ある本を買って、その認識がガラリと変わりました。その本には「良い商品を売ってる会社にこそ、この本を手に取って悪徳会社に負けないで欲しい」という旨のことが書いていました。

そもそも、悪い商品を売っている会社は、それを認識してるからこそあの手この手で宣伝して、なんとか人に売りつける努力をする、しかし、良い商品を扱っている会社はその商品にあぐらをかいて「良い商品だから売れる」と勘違いして売るための努力をしない。そう書かれていました。そしてトドメに、

「良い商品を、それを必要としている人に届ける努力をしないのはもはや罪だ」

という意味のことが書かれていました。まさに私のことを言われているんじゃないかと思いました。

私の治療を受けてくださった方はみな「ありがとう」と言ってくださいます。しかし、そもそも私のことを知らない人のほうが多いのです。それなのに、

「絶対に良い治療のはずなのになんで患者さんが来ないんだ!」

と思っていました。
そこから、マーケティングを勉強しました。そこで学んだことは、患者さんの悩みを深く知り、患者さんにとって必要な治療を適切なタイミングで提供することが重要であるということでした。

まず、治療を見直しました。それだけでなく、治療の説明、治療スケジュールが、本当に患者さんにとって必要かどうかを考え全てを作り直していきました。また、私の想いや考え方を発信することを始めました。

するととても面白いことが起こりはじめました。まず、治療効果が飛躍的にアップしました。明らかに治療レベルが上がったのです。マーケティングの勉強をして、治療の効果が上がるとは思わぬ副産物でした。

そこから不思議なことが起こり始めました。別に宣伝などしなくとも、自然に患者さんが来られるようになったのです。そして、開業の時の患者さんがご家族やご友人を紹介してくださり、紹介で受診された患者さんがまたご家族やご友人を紹介してくださる、そんなことが起こり始めました。

私の迷走からの思い切った方向転換まで、ずっとついてきてくださった患者さん、そして治療を受けてくださり、ご家族やご友人を紹介してくださった患者さんのおかげで、なんとか経営危機を乗り切ることができたのです。

生まれ変わったまつむら鍼灸整骨院

2013年最初の経営危機を乗り越え、ひたすら患者さんを治療させていただくことだけに集中してきました。また、新たな治療技術を学んでいるのですがこれがまた異常に効果的であり、私はメインの治療法をそちらに切り替えることにしました。

ただ、私の治療レベルの向上に、自分の院がついてこれなくなってきました。

また私は、治療というのは、単に悪い身体を良い身体に戻すだけでなく、身体が今よりもさらに良い状態にすることだと思っております。そんな中で私自身も行っている筋肉トレーニングを提供させていただき、更に良い状態の身体を新たに作っていくことができるようなメニューも取り入れることで、悪い状態を良い状態にし、その後更にパフォーマンスアップをすることができるようになります。

これらを考えると、開業当初の院では全てを行うことができない状態になり、2018年2月に院を全面改装し、新生まつむら鍼灸整骨院として生まれ変わりました。

(柔道整復師・鍼灸師 松村正隆 監修)

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