小学生時代は超問題児

小学生の頃は機動戦士ガンダムにハマリ、ガンプラを作っていました。高学年頃からはガンダムだけでなく当時全盛期だった少年ジャンプのマンガにはまり「よろしくメカドック」という漫画の影響で車も好きになり、車のプラモデルを作るようになっていました。アニメのワンシーンを再現する「ジオラマ」を作ったりしていたものです。エアブラシで塗装したりして、結構本格的でしたし、ラジコンも作って遊んでましたね。

と、ここで終われば、ちょっと引きこもりがちな小学生って感じでかわいいものです。しかし、先述したような母親に育てられた私がそんなかわいらしい小学生になどなるはずもありません。しかも私は人一倍身体がデカい!(小学5年生で165cm85kgありました、参考までに 笑)

勉強ができるようになり大嫌いになる

小学校高学年の頃は、祖父が医者だったこともあり、父が私を医者にさせたかったのでしょう、アホみたいに勉強させられる塾に入れられてました。今はもうないのですが、阪口塾(坂口だったかな?忘れました)という当時浜学園としのぎを削っていた塾です。灘、甲陽は当たり前、真ん中くらいの成績の子でも六甲、という感じでした。

そこの塾長が、祖父と大阪帝国大学(現・大阪大学)で同期だったとかで、大して学力もないのにコネ入塾させられたのです。それからは毎日1日8時間くらい勉強させられました。学力は異常につきましたが、勉強が心底大嫌いになりました。

テニスも大嫌いになる

また当時は祖父、父、母みんなテニスをしていました。私は身体が大きいだけでなく左利きだったため、プロにでもさせたかったのでしょう。私も物心ついた頃からテニスをやらされ、高学年の頃は結構厳しくされました。それがイヤでテニスが心底大嫌いになりました。

灘や甲陽を狙うほどの塾で勉強、そしてテニスで厳しいレッスン、小学生に両立しろというほうが酷でないでしょうか。そのストレスからか、学校では気に入らないものはとりあえず殴る、蹴る。何度となく校長室に行きました。(当時の被害者の皆様、本当に申し訳ありません)当時は担任までぶん殴っていました。授業中も立ち歩く、騒ぐ、暴れるは当たり前で、学級崩壊の原因でした。

基準値の中での理不尽

ただ、「泥棒にも三分の理」と言います。私の言い分を書かせていただくと、当時の私の基準の中で理不尽があったからです。

例えば…
当時小学校では「平等」をうるさく言われました。
(そういえば小・中と音楽の授業で国歌を習ったことがありません、当時の西宮市って日教組が強かったのでしょうか?)

先生は「平等」というくせに、例えば掃除の時、「背が高いから」という理由だけで私の担当の掃除のところ以外の高いところの掃除をさせられる。

大人からすると些細なことかもしれませんが、当時の私にとっては理不尽極まりないことです。もちろん拒否します。すると当時の教師は「先生の言うことを聞け」と権力、立場を理由に私に強要するというこれまた私の嫌いな理不尽を押しつけてくるという状況でした。

だから私は家も嫌いでしたが、学校も嫌いでした。汚い話、朝は毎日下痢でした。給食もマズいですし、そもそも牛乳嫌いですし(笑)

しかし塾のおかげで学校のテストはいつも100点。という教師、というか大人全般から見てもかなりかわいげのない子供だったと思います。

とまあ、私の小学生時代は本当に黒歴史のようなもので、都合の良いことは忘れてしまうのかあまり記憶にも残っておりません(笑)

(柔道整復師・鍼灸師 松村正隆 監修)

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